ポウレのメジャー7th旅情

都会の夜景を映す水たまり...そんな世界観

卒業に眼鏡は余計だ

今週のお題「卒業」

 

気がつけば3月半ばに差し掛かりそうな今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

もうすぐ春ですね。

春と聞くと、寒い冬が終わり暖かくなり、明るい雰囲気が感じられるかもしれませんが、最近私はまた違った感覚がします。

 

冬って、寒さのせいで外に出る機会が少なくなってインドア化して、あまり思い出という思い出(インスタ映えするような思い出)がなかなか作れないイメージがするかもしれません。

でも私は少し違います。インドアゆえに親密な交友関係が促進されて、色濃い思い出がたくさん作られるのが冬やと思っています。

サークルの友達と鍋パしたり、炬燵で温まりながら夜遅くまで駄弁ったりと、物理的な距離の近い思い出がたくさんできます。

 

そして来るのが春、新しい生活が始まります。冬に比べて外に出る機会も増えて、多くの人たちと比較的表面的な関わりが増えます。

大学生は「新歓」の時期が来て、まだ見ぬ出会いを求めてたくさんの人に声をかけ、交友関係を広げようと血眼になります。その時、今まで培ってきた友達との関係には目を向けにくくなってしまいます。(私はそうでした)

そんな時私は、春が来ると、冬のうちにできた大切な思い出たちが、桜の花びらとともに明るすぎる青空の向こうに飛んでいってしまう感じがしてしまうのです。

悪い意味で視界が広がりすぎるんです。

だから、「まだ春が来ないでほしい」って思ってしまいます。

 でも、新しい出会いに消極的になっているわけではないのです。冬に作った思い出たちともう一度向き合って、しみじみする時間が欲しい!と焦るのが、春を目の前にした今の時期なんです。

 

 

街も、春に向けて冬とは違った様相を呈し始めます。私が住むこの街も、建物の装飾が変わったり、私が上京してきた当時と建物のテナントが変わったりと、随分変わってしまい、上京当時を思い出させるものも限られてきました。変わりゆく街に浪漫を見出すこともできますが、大学卒業を目前にした今は、変わっていく街を見たくないのです。ずっとこのままでいたいって気持ちさえ少しだけあります。

 

だから私は、いつもかけている眼鏡をかけずに街を歩いています。はっきりとした街並みは映してくれない私の裸眼は、ぼんやりとした街の輪郭だけを映します。それだけあればいいんです。

学生寮の友達と通ったバー、友達と夜遅くまで語り合った公園、、、今は見た目が変わってしまったものでも、眼鏡をかけなければ、ぼんやりと輪郭だけを見て、当時を懐かしむことができるんです。

 

思えば高校の卒業式、私は眼鏡をかけて臨みました。いつも一緒にいたあの子、「今日が終われば離れ離れになってしまう。」と焦りながら、何を話せばいいのかわからなかった私に

「今まで本当にありがとう。また会えるよね?」

そう言って、その子は目に涙を浮かべていました。

その涙を見て私も泣いたし、そのせいで上京したくない、このままここにいたいと後ろ向きな気持ちになりました。

眼鏡をかけていなかったら、前向きに、明るくお別れができたのかなと、今になって思ったりします。

いつもは無いと不便な眼鏡、この時期にはもしかすると余計なものなのかもしれません。

 

春からは社会人、新居への引っ越しの準備をしていた私は、サークル引退時に後輩たちからもらったアルバムを見返していました。

おっと危ない、眼鏡をかけたままでした。眼鏡を置いてザッとアルバムを見返した私は、段ボールの中にアルバムをそっとしまいました。

そして、思い出が出て行かないように段ボールに二重のガムテープの封をしました。

 

 

終わりに、私が最近好きになったアーティストであるフィロソフィーのダンスの『ヒューリスティック・シティ』という曲の歌詞を結びの言葉とさせていただきます。

 

「♪さよならを好きだって言えるうちに

次の時代いきましょう

私が覚えておくから」

 

 

それではまた。

 


フィロソフィーのダンス/ヒューリスティック・シティ、ミュージック・ビデオ